40年ぶりの大怪我

初めての登山が14歳、今から43年前に中学校の友人に連れられて何も解らず東京、奥多摩の御前山と言うところに登ったのが最初だった。
高等学校に上がり、自分で計画を立てて数人のメンバーと東京近郊の山に登った。
社会人になって山の会に入り本格的に活動を始めた。

結婚して子供が生まれ、開業、必死で働き、あっという間に30年が立ち家のローンも子供も手を離れ時間が出来たので以前の会に戻り懐かしい仲間と活動を始めた。
とても個人では行けないような山域に毎月のように行った。

そんな中で事故とか事故死と言う事を認識はしていたが、実感として自分自身には遠い存在だった。
30年前、冬の黒部で友人を亡くした。元旦の朝吹雪の中、雪庇を踏み抜いて1000メートル近く墜落して半年後無残な姿で発見された。

谷川の雪稜を雪庇につかまりながら歩いた、厳冬期の八ヶ岳で強風のため数十メートル通過するのに数時間掛かったこと、残雪期の黒部でルンゼ上の雪庇でビバークした時も恐怖と緊張の連続だった。
一つのミスで命を落とすところを数えきれないほど経験してきたが、慎重に行動してすべてクリアーしてきた。

下山時、滑って尻にあざを作ったり膝子ぞを擦りむいたりしたことは、たまに有ったが重大な事故につながる様な事でもないし笑って済まされる範囲内であった。
危険な所は安全策を施し神経を集中して通過したので事故に繋がるようなことは無かった。

大怪我と言えば40年前、高校二年の春、鹿島槍国際スキー場で両足骨折くらいであった。

今回の沢も今シーズン最初なのでルートもさほど長くなく小滝の多い簡単で楽しめる所であった。
バスを下車、神社の参道を行き本殿の裏の堰堤で支度を整え沢に降りた。
堰堤を二つ越え幾つかの分岐を通過してホトケ沢の分岐手前、これから最初の滝が出てくる
所で、ごくありふれた沢床であった。

岩から岩へグリップの良い渓流シューズでいつものように軽快に歩いていた。
一抱えもある岩に体重をかけた途端、考えられない位、いとも簡単に大岩が崩れ落ちた。
完全に体重を掛けてしまったので逃げようがなく、かろうじて状態をひねって上半身だけは岩から逃れた。

沢床に転がり落ち最初に着いた左足の向う脛の上を大岩が転がり通過した。
激痛が走った、大声で叫んだ。叫んで痛みに耐えるしかなかった。
叫びながら今起きている現状が信じられなかった。
左足は完全に潰れたと思った。

しばらくして痛みが和らいだころ恐る恐る足を見てみるとジャージの上から見る限り原型は留めている、裾を上げてみると裂けた皮膚上に黄色みがかった皮下脂肪が飛び出していた。
血管が潰れているためか出血はほとんどない。

傷から離れている所を拳でたたいて振動を与えてみたが骨折の痛みは感じられない、
どうやら骨折は免れた。幸運にも落ちたところが砂地で足が砂にめり込んだみたいだ。

とはいっても、膝の靭帯が損傷しているみたいだ、なんとか痛みをこらえて登れるが下りは全く駄目だ。脳裏に幾つかの案が浮かんだ、リーダー一人で下山して翌日レスキューに搬出してもらうか、ヘリを要請するかだ。

出来る限り自分たちで解決しなくてはならないので、地図には記載されていない建設中の林道が小滝を二つ越えたあたりにあるので、どこに繋がっているのか分からないが、とりあえず林道に向かった。
感覚的に下山路に使う尾根道に繋がっているようであったが、どの位の距離があるのか見当がつかない。

林道に出て沢の装備を外し、下山路の尾根道に向かうが、かなり距離があるようだ。
林道は等高線に沿って作られているので傾斜は緩いが距離はある。
林道歩きは普段でも大変なのに、この足では本当にきつい、今日の帰宅は無理だろう。
沢からの下山も考えながら痛い足を引きずっていると一般の林道へのゲートにたどり着いた。

この時Tさんが遠くに車を見つけた。
一般車両など入って来ることのない所で、本当に偶然だった。
静岡から来たご夫婦で、地図にない山道を走るのが好きで、どこに抜けるのか楽しみで走っっていたが諦めて、Tさんの見かけた地点でUターンして帰ろうと思っていた所なんとなくこの地点まで来たという。

事情を話すと気持ちよく乗せてくれた。
民家の有る所まで行ったらタクシーを呼ぼうと考えていたが、JR塩山駅まで送って頂き、本当に感謝でした。
余談ですが、旦那さんは自分の思ったところ、歌手の布袋寅泰に似ている人でした。

自宅前でタクシーを降りると気の緩みか自宅まで数秒の道のりが数分掛かった。
患部を見てみると自分でも恐ろしいような状態だった。
まるでパンパンに膨れた風船が今にも破裂しそうな状態で、近くの救急病院に連絡を取ると直ちに来院するようにとの事で妻の肩につかまりながら院に向かった。

応急処置の結果、骨折は無いようだが膝の靭帯損傷とふくらはぎ全体に渡る筋肉の損傷が激しく腫れによる毛細血管の圧迫で血流がなくなり最悪の場合足を切断するようなことになる場合があると言う事だった。
このまま更に腫れがひどくなり足先が白くなるようになったら直ちに来院するようにとの事で
とりあえず帰宅した。

事故を振り返ってみると、事故直後は激痛で何かを判断できる状態ではなかったが、痛みが引いた後もう少し冷静に考えるべきだったと思う。
靭帯を損傷していて下れないが登りは何とか登れると言う私の言葉でTさんは林道へ出れば人に会う可能性も高いし雷雨などによる増水の危険からも回避できるので、この判断は正しかったと思う。

しかし車に遭わなかったら、当日の帰宅は無理だったと思う。
今になって考えてみると堰堤は越えたが滝は越えていないので多少無理をしても時間をかけて沢る方法も一つだったと思う。

深夜に危険な状態になっても山中では対処出来ないので連絡可能な所まで移動しておく必要もあったと思う。

いずれにしても山中での事故判断の難しさを感じました。
そして命に係わる重大事故がいとも簡単にわが身にも起こる可能性があると言う事を改めて認識しました。

あれから二週間、挫傷部の内出血がひどく普通は吸収されてしまうとの事ですが、量が多いので筋肉中で凝固してしまいオペになるみたいです。
靭帯も時間が掛かるとの事で、9月いっぱいの予定はすべて吹っ飛びました。
10月末の手賀沼に出られるよう現在治療中です。













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